16日のはまぎくカフェはシル・リハ体操で始まり、歌を3曲歌いました。シル・リハ体操には、皆さん段々慣れて来て、かなり身体が動いていると思います。毎日、自宅で、2つでも3つでも続けられるようになるといいと思います。
「パプリカ」の振り付けの説明の後、映像に合わせて自分たちでも振り付けをやってみました。皆さん振り付けに一生懸命で、歌う声はあまり聞こえてきません。まぁ、どうしてもどちらかになりますよね。でも歌いながら身体を動かすって、デュアルタスクのいい例ですね。続いて「てんとう虫のサンバ」と「バラが咲いた」を、乾守男さんのウクレレに合わせて歌いました。「生の伴奏はいいね」と声がもれましたが、伴奏に聞き惚れてしまったのか、こちらの歌声もあまり大きくありませんでした。歌詞が頭に入っていないと、なかなか歌に付いて行けないというのはあります。これは次回以降の課題です。
さていよいよ、本日のメイン、「『枝画』の楽しみ方」。創始者の柴沼さんが紹介され、柴沼さんが作られたパワー・ポイントを使って説明が始まりました。会場には既に8作品が展示されています。参加者の皆さんも、何だろうという感じで、お話を伺う下準備は出来ています。
枝画とはどういうものかという説明に続いて、枝画が出来た経緯が語られました。柴沼さんにとって、家を建てたら庭も自分で作りたいというのが小学生の時からの夢だったそうです。家を建ててから20年以上がたち、庭木の剪定の必要が出てきました。剪定した枝には大切に育ててきた思い出があり、捨てるのではなく何かに使いたいと思ったそうです。そしてもう一つ、定年退職後に気づいた大きな忘れ物がありました。自分の中でやり残したこと、それはずっと封印してきた絵画を描くことでした。こうして、剪定した枝への愛着と退職後の忘れ物とが出会って、枝画の発想に至りました。誕生すべくして誕生した「枝画」。ではそれはどのようなものなのか。
枝画は、絵の輪郭線に「木の枝」を使って、それを平板上に「漆喰」で固定します。そののち、枝で構成された輪郭線の中を絵の具で彩色した作品です。2018年12月末に第一号作品「二重唱」(2羽の丹頂鶴が上下で歌う構図)が作られ、その後2年半で35作品を制作し、2021年4月に藝文センターでの個展開催に至りました。この藝文センターの個展の展示会場も動画で紹介され、会場を動いて鑑賞している気分を味わうことが出来ました。
はまぎくカフェにも持ってきて下さった「シンフォニー」(ベートーベンの肖像)は迫力がありました。参加者の方が、帰り際に「ベートーベンは素敵だった」と感想を漏らされていました。私は個展会場で「ある哲学者の肖像」を見たとき、ニーチェの顔だ、と瞬間的に思いました。作者がイメージしていたのは別の方たちだったようですが。「魂の旋律(ラフマニノフに捧ぐ)」の手は衝撃的です。ごつごつした手で、強烈に迫ってくるものがあります。でももし部屋に飾るとしたら、と考えると、作品11の「風の流れに」かなと思います。作品16の「ひととき(想い)」も素敵です。
そして柴沼さんは、枝画の鑑賞が、受け身に作品を味わうだけではないことを教えてくれました。一番対象を客観的に捉えるところから見ることを、メルロ=ポンティは「最適性」と言いました。その時実現しているのが特権的知覚であり、その定点が「成熟点」と言われます。対象までの距離、対象の向き、対象の現われの三つの規範を同時に満足させるような成熟点があって、知覚の全過程はこの点に向おうします。通常の絵画にはこのような「成熟点」が一つあります。
枝画では照明の位置によって、あるいは朝・昼・晩の光の状態、晴れ、曇り、雨などの天候によって、作品の表情が大きく変化します。見る角度によっても見える「影」と隠れた「陰」が微妙に交差することで、作品の表情が変わります。同じ作品なのに、微笑んでいるように見えることもあれば、悲しみを表現しているようにも見えるのです。
枝画の「成熟点」は一つではないということです。これはかなり革新的な鑑賞方法を切り拓いている画法と言えるのではないでしょうか。作者、作品、光の状態、鑑賞者が共同で作り出す世界。
休憩の後、スタッフが作った次回の「枝で遊ぼう」の試作品を、柴沼さんが丁寧に見てくださいました。そして「作りすぎないのがいいのです」と何度も言われていたのが印象に残りました。参加者の方からも「下絵は描かれるのですか」という質問が出て来て、とても刺激的な時間だったと思います。
柴沼さんありがとうございました。
追加記事(2021/8/2); 活動記録(第7回、第8回) には、動画を掲載しています。