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第12回 はじけて「津軽三味線」

 3月30日に、久しぶりに「はまぎくカフェ」を再開できました。開催できなかったのは2カ月だけだったのですが、感覚として「久しぶり」でした。昨年は3月31日に同じ企画(津軽三味線コンサート)を実施しました。1年振りに会う子どもたちは、成長していました。昨年、一番小さい子は、椅子に座ると足が床に届かず、足をぶらぶらさせていました。それがしっかり、床に足が着くようになっていました。そして一番元気に飛び回っていました。

 最初に恒例の体操。今回はラジオ体操第一をやりました。子どもたちにもラジオ体操は馴染み深いので、子どもたちと一緒に体操をしました。「座っていても大丈夫です」と言ったにもかかわらず、ほぼ全員が立って体操をしました。「跳躍の部分は足踏みでオーケーです」にも、ほとんどの方が跳躍運動をしていました。子どもたちに元気もらった気がします。

 そのあと、「パプリカ」と「花」を歌いました。2回あいだが開くと、『パプリカ』の振り付けはほぼ忘れられていて、「花」も子どもたちの張りのある声に助けられました。まあ、ご愛敬です。

 代表挨拶の後、いよいよ「はじけて、ひびいて、おどる」津軽三味線演奏会が始まりました。今回も、忠和子さんがMC(司会進行役)を引き受けて下さり、充実したプログラムになっていました。

 津軽三味線の響きは、身体を震わせます。お腹の底に響く感じがします。第一部は、『「さくらさくら」~黒田サンバ』で始まり、『津軽じょんから旧節』まで、6曲が演奏されました。『和洋じょんから節DaDaDa』では、ギターのように三味線を肩からバンドに掛けて立ち弾きしながら、動き回って演奏しました。子どもたちも楽しそうだったし、聞いている私たちも乗りました。これは、アンコールでも再奏。

 佐々木光儀「和洋じょんがら節DaDaDa」(←リンク)は、YuoTubeで見る(聞く?)ことができます。なかなか迫力がありますよ。

  第二部では、子どもたちがそれぞれ好きな曲の説明スライドを作ってくれました。発表会の様相を帯びて、微笑ましかったです。スライドを自分たちで作ることが出来るというのは、私たちの世代には考えもつかないこと。コロナ禍の中で、否応なしに学校が取り入れざるを得なかったIT教育の成果です。それぞれの曲の内容理解は、ちょっと難しい部分もあったようです。でも演奏は大人びていて、そのギャップに驚かされます。知的な部分の成長と身体的・感覚的能力の成長のスピードは必ずしも一致しない。彼らのこれからの成長が楽しみです。

 最初のスライドは、『弥三郎節』について。この民謡が嫁いびりの内容だったとは驚きましたが、説明されると、なるほどちょっと哀調を帯びた曲調だなと感じました。『タント節』はわら打ち歌です。『りんご節』は青森のリンゴを宣伝するために作られた新民謡。写真は、続けて演奏された『花笠音頭』の映像です。次に『船漕ぎ流し唄』というやん衆(北の海の漁師、特にニシン漁で働く気の荒い漁師)の疲れを癒し、気合を入れるために歌われた唄。「やん衆」という言葉で、北原ミレイの『石狩挽歌』(作詞・なかにし礼、作曲・浜圭介)を思い出しました。「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ」という歌い出しです。乗りのいい曲なのに、哀調を帯びていて、かつて繁栄を誇ったニシン御殿の夢のあとを悼んだ演歌です。歌詞にはよく分からない言葉が結構あったのですが、あまり気にもせずに聴いていました。最初のこの「ヤン衆」も意味を知らないまま歌っていたなぁ。○十年後の氷解です。

 最後の『六段~独奏』は聴き応えがありました。津軽三味線の六段は津軽じょんから節をマスターするために作られた練習曲だそうですが、それぞれの独奏部分は手が込んでいました。この後、アンコールで『和洋じゃんから節DaDaDa』が再奏され、子どもたちも第一部のときより慣れた動きで、聴いている側も演奏を堪能しました。子どもたちも楽しかったようです。

 参加してくださった皆さんにも楽しんでいただけたようで、嬉しい限りです。新型コロナ感染者がなかなか減らない中、会が催せたことに心から感謝しています。