第22回 ニューイヤーコンサート

 前日までのお天気の悪い寒い日々に、ちょっと身体の強張りが緩むような、お天気に恵まれた18日でした。終わってからドレスで出演して下さったお二人から、「暖かかった」と感想を頂きホッとしています。

 さて、第1部は、山本彩子さんと忠和子さんの紹介から始まりました。参加者のほとんどの方が、お二人と場を共にするのは3回目です。ただ、初めての方もいらっしゃいますし、やはり紹介させて頂くことで、お二人にまた来て頂けたと、気持ちが新たになります。

 第1部では、山本彩子さんの伸びやかな声と表現力を堪能しました。伴奏の忠和子さんも、『トロイメライ』を弾いてくれました。穏やかな調べに、保育園でお昼寝の時間に流れていた、という話を納得しました。 

 1部の最後の2曲は圧巻でした。どちらもチャイコフスキー作曲で、『ただ憧れを知る人のみが』と『オルレアンの乙女 』より「そう、時はきた」でした。

 彩子さんから、チャイコフスキーは美しい音楽を創っているので嫌いにならないで欲しい、ロシア人を嫌いにならないで欲しいと説明がありました。ロシアがウクライナへ侵攻して以来、音楽家たちは悩んできたようです。

 昨年来日したウクライナ国立バレエ団のダンサーたちも、『白鳥の湖』を踊るかどうか悩み、国からの要請もあって、チャイコフスキーの曲は止めています。

 チャイコフスキーは1840年に生まれ、1893年に亡くなっています。家系の出自はウクライナのようです。そして、19世紀の西欧派かスラブ派かの対立の中では、明らかに西欧派の立ち位置を取っています。題材からはロシア的というより西欧文化を感じます。

 

 『ただ憧れを知る人のみが』は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1786年)第4部第11章に出てくる詩で、ミニヨンという少女が歌います。ミニヨンは幼い時にイタリアでさらわれ、サーカス団の歌姫として働かされていました。演劇修行中のヴィルヘルムはそのミニヨンを、サーカス団から買い取りました。

 この詩には、何人かの作曲家が曲をつけていますが、チャイコフスキーの曲が有名です。でも、なんと、シューベルトはこの同じ詩に6回曲をつけ、ベートーヴェンは4回作曲しています。チャイコフスキーは、ロシア語訳されたものに、曲をつけています。最初の出だし(ドイツ語のもの)は次のようなものです。 

 

Nur wer die Sehnsucht kennt      ただ憧れを知る人だけが、

Weiβ, was ich leide!                     私が何を悩んでいるかを知って います。

 

 『オルレアンの少女』は、1878年から1879年にかけてチャイコフスキーが作曲したものです。原作はシラーの戯曲『オルレアンの少女』。題材は英仏百年戦争(1337-1453)でフランスを勝利に導いたジャンヌ・ダルク(1412頃-1431)です。シラーの原作では、ジャンヌ・ダルクは戦場で死にますが、チャイコフスキーのオペラでは、史実に忠実に、ルーアンで処刑されます。

 「そう、時はきた」は、16歳(1428年)で戦場に赴くジャンヌが、故郷との別れを歌う歌です。ジャンヌはフランス東部ドンレミに(土地を所有する)農夫の娘として生まれました。当時のドンレミは、フランスに対して素朴な忠誠心を持つ村だったようです。ジャンヌは、13歳の時に、「王太子シャルルをランスへ連れて行ってフランス王位に就かせよ」という神の声を聴いた、と伝えられています。そして16歳の時に、いよいよ旅立つ決意をします。最初はこう始まります。

 

そう 時は来た

天命にイオアンナは従わなければならない

  (ロシア語でジャンヌ)

だが なぜ心が恐れで塞がれるのか

苦しく 痛く 心はうずく

 

さようなら 永久に 故郷の丘よ 野よ

さようなら 平和な隠れ家の明るい谷よ

 

 使命感と故郷への愛着で引き裂かれる16歳の少女の想いが、歌いあげられ、聴くものの胸を打ちます。ジャンヌは、百年戦争の危機的状況で、戦況をひっくり返したヒロインとして、今もなおフランス人の心に訴えかけ続けていると言われます。

 

 百年戦争自体は、王位継承権に関するイングランド王家(プランタジネット家及びランカスター家)とフランス王家(ヴァロア家)の対立でした。この対立もずっと引っかかっていましたが、ヨーロッパの王家の婚姻関係から来ています。要は、ノルマン朝最後のイギリス王ヘンリー1世の跡取りが早世してしまったので、娘(マティルダ)が後継者に指名され、その娘婿がフランスの貴族(アンジュー伯ジョフロワ4世)だったということです。まぁ、色々ありますが、マティルダの息子であるアンジュー伯アンリが、ヘンリー2世となりプランタジネット家が成立します。このアンリは、アンジュー伯としてフランス内に広大な所領を持ったまま、イギリス国王に即位しました。

 このプランタジネット家の所領は代を重ねて、縮小していきます。そしてフランドル地方をめぐる対立、スコットランドをめぐる対立で緊張が最大になり、終に、イギリス王(プランタジネット家)エドワード3世が、フランス王(ヴァロア家)フィリップ6世に対して挑戦状を送付(1337年11月1日)したのが、百年戦争の始まりです。

 要は王家の家同士の争い。どちらも根っこはフランス貴族同士。その対立に庶民の出のジャンヌが、なぜ命を懸けることになったのか。王族の家同士の権力闘争が、戦場に住む一般の人たちを巻き込んで、自分たちの郷土愛を刺激するものになったからのようですが、そこはまだ今一つ理解できていません。

 

 第2部は、『この道』、『メモリー』、『雨降りお月』、『紅葉』を、彩子さんの歌唱指導で歌いました。身体のほぐし方や、発声練習として母音法も教えていただき、音を聴きやすく発声する訓練も出来ました。『雨降りお月』は、他での歌唱指導の時も、とても人気があったとか。作詞の野口雨情は、現在の北茨城市出身です。月にかかる暈(翌日雨になると言われます)と傘が掛けられています。雨情の最初の妻ひろの嫁入りの日は、雨だったそう。当時は、花嫁は馬に乗って行列を組んで嫁入りしたそうです。

 

 第1部は格調高く。第2部は参加者のちょっと調子はずれの歌声も交じって、それを彩子さんの声がフォローしてくれていて、楽しかったです。そして、参加者の皆さんが、とても満足した様子で帰られたのが、嬉しかったです。皆さん、ありがとうございました。

 

 一つの作品を通して、色々考えさせられるし、世界が広がります。試験のためではなく何かを知ろうとするのは、「なぜ」を刺激されるからですが、今回は歌に心を動かされたから。『夕暮れに手をつなぐ』という北川悦吏子脚本のテレビドラマが始まりました。その中に、「ものを創るというのは、人を最も遠くに連れて行くのよ」(不正確ですが)というようなセリフがありました。時間の中で起きたことは、その時はどれほど人の心を鷲掴みにしようと、やがて忘れられていきます。それを人の記憶に留めるのは物語であり、歌であり、絵画であり、映画でしょう。史実記録は重要ですが、それだけからは、一般の人の心の中に「出来事」が生き続ける力は生まれません。「詩や美しさ、ロマンや愛は人間が生きるための糧だ」と映画『今を生きる』の中で、キーティングが言っていた言葉を思い出します。心は芸術を糧にする。だから芸術を通して「出来事」の記憶は紡がれていくのでしょう。芸術の力を感じることができた時間でした。