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第23回 すごろくトーキングPartⅢ

 今回の歌は『パプリカ』、『雨降りお月』、『鬼のパンツ』でした。この作品は『雨降りお月』に因んだものです。それと、高校生の間でここ7~8年話題の「黒板アート」から着想を得ています。描かれているのは、『雨降りお月』の作詞者である野口雨情の奥さん(旧姓高塩ひろ)ですが、この翼はひろさんの位置に立つことで、誰でも自分のものにできます。

 

 この作品を見て、私は「赤い鳥」の『翼をください』(1971年)を思い出しました。

 

「今 私の願いごとが叶うならば

 翼がほしい

 この背中に鳥のように

 白い翼つけて下さい

 この大空に翼を広げ

 飛んで行きたいよ

 悲しみのない自由な空へ

 翼はためかせ行きたい」

 

 この作品の制作スタッフは、栃木から馬に乗ってはるばる北茨城へお嫁に来たひろさんの想いを、この翼で表現したと言っていました。海のない土地から海に開かれた土地へとお嫁に来たひろさんは、希望を胸に秘めていただろうと。

 ひろさんの想いは、残念ながら、離縁という形で終止符を打ちましたが、新しい生活に胸躍らせていたと考えると救われる気がします。

 

 制作者からの説明場面。アングルがちょっとルーブル美術館の「サモトラケのニケ」に似ています。ニケ像は、1863年にギリシアのサモトラケ島で発見されました。翼のはえた勝利の女神ニケが、空から船のへさきに降り立った姿を表わしていると言われています。

 

 今回のすごろくのシートです。すごろくは「双六」と書きますが、これはサイコロを二つ振って遊ぶゲームだったことから来ているそうです。サイコロの最大値の6がゾロ目で出ることで、形勢が左右されたゲームだったからです。

 すごろくの発祥は古く、紀元前3000年とも言われます。エジプトとかメソポタミアが発祥の地で、中国を経由して日本に入ってきたのが7世紀頃です。これは、盤双六という二人でやるボードゲームです。盤上のそれぞれの15個の石を、どちらが先にすべてゴールさせることが出来るかを競います。

 盤双六は、サイコロによる偶然の要素が大きいため、賭博に用いられたようです。持統天皇によって、689年に初めての禁止令が出されています。『平家物語』巻第一・願立には、白河院の嘆きとして「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞわが御心に適わぬもの」とあります。なるほどそういうことか、と思いました。盤双六は上流階級の婦女子のたしなみでもあったようです。

 

 現在、私たちがすごろくとしてイメージするのは、盤双六の影響を受けて発展した絵双六で、複数人で遊びます。紙に絵を描いて、サイコロを振って、絵の上のマスにあるコマを進めて上がりを目指します。15世紀ころに仏教の世界観を絵や仏教用語で表した「浄土双六」が遊ばれていたという記録があるようです。庶民の間で流行するのは、17世紀半ばの元禄年間の頃のようです。

 

 私たちがやったのは、絵双六の言葉編と言ったらいいでしょうか。マスに質問を書いて、その質問に回答するという形を取りました。

 ただやってみて思ったことは、それぞれのマスに入れる内容の難しさです。それは、どう展開するかの難しさでもあります。話のきっかけを作れるような内容にしないと、話が続かないなぁと思いました。いきなり聞かれても、考えてしまうものだと続かないです。それは受け方の問題でもあります。グループの中に受け方が上手な人が居ると、どんどん話を引き出せるだろうとは思います。

 それと今回は、シェアリングが上手くいかなかったと反省しました。話した内容の発表よりも、メンバー間の話し合いを通してそれぞれが何を感じていたかを振り返って、それを伝え合うという時間を取るのを忘れてしまいました。これが、一番肝心だったのかも。すごろくトーキングの楽しさは、よく知らない人の語る内容から、その人を感じ取ることと、そういう話を通して人が感じていることを知ることなのだろうと思います。

 

 通常のおしゃべりでは、その場の話に合わせる、語る相手のことを考える、を無意識にしています。すごろくトーキングでは、質問設定があって、すごろくの目でどの質問が当たるか分からない、というやり方を取ります。場に合わせるとか相手に合わせるのでなく、自分で考えたことを話す設定です。意外なほど、こういう話し合いの場ってないと思います。

 

 皆さん、参加型の企画は楽しんで下さったようです。参加型の企画をもっと練り上げていきたいです。今回も参加して下さった皆さんに感謝しています。ありがとうございました。