第36回 ミュージック・ケアで遊ぼう

 これは、休憩後の作品解説の時の写真ですが、こんな感じに座りました。いつものようにシルバーリハビリ体操から始めました。今回は、音楽を使った活動だったので、歌はお休みです。

 指導して下さった西野裕子さんは、石川県のミュージック・ケア協会(加佐ノ岬倶楽部音楽療法研究所)で指導者の資格を取られた方です。加佐ノ岬倶楽部は、加賀谷哲郎さんが1967年に設立した日本音楽療法協会から展開したものです。

 1967年から1977年にかけて、音楽療法の分野では、リーダー的存在の研究者たちが次々と研究組織を立ち上げていたようです。加賀谷さんは、東京都の教員生活の中で、経済的貧困家庭、生活様式が異なる家庭、障害者という被抑圧性のあるマイノリティの学習群の問題と向き合いました。彼はもともと声楽家を目指していた人でした。教員免許を取得して、音楽教師としての道を歩み始めたのち、水上生活者、山谷の子どもたちの被抑圧性を、せめて音楽教育で和らげようと、教育活動を行いました。

 

 加賀谷さんは「音楽を手段として教育治療的な考え方や方法」(1970年)を生み出し、それに仮に「音楽療法」と名づけました。加賀谷さんは、音楽療法は音楽教育とは目的を別にすると考えていました。彼の音楽療法では、音楽は手段です。

 

 「音楽療法」という言葉は、1906年に山﨑恒吉さんが「Music Therapy」の訳として使ったものです。山崎さんは、西洋における医療の応用として音楽療法を紹介しました。音楽療法の言葉を使って、加賀谷さんは自分の教育治療的考え方を表現しました。

 そして、西洋の医療の応用分野としての「Music Therapy」を「音楽治療」(1979年)と呼び変えています。なぜなら、「Music Therapy」は医師の指示に従うもので、医師法に基づきますが、加賀谷さんが主張する音楽療法の目的には、教育的な意味合いが含まれているからです。 

 

 加賀谷さんは「音楽療法」のねらいに、「音楽の特性をいかして、子どもの心身に快い刺激を与え、情緒の育成、さらに運動感覚機能の促進と知能の啓発を促し、子どもの心身の発育、発達に好ましい変化を与える」(加賀谷『音楽療法』1979年、26頁)ことを上げているそうです。

 

 加賀谷さんは、音楽が持つ力を「情緒の安定」だけでなく、情緒を育て、運動感覚や知能の発達にも変化を与え、好ましい人間関係の形成という教育的目的で使おうとしたと言えるでしょう。

 

 音楽療法ではなく、現在、ミュージック・ケアという言葉を使っているのは、加賀谷さんの以上のような考え方を生かそうとしているからかな、と思いました。現在では、ミュージック・ケアは、子どもだけでなく高齢者や障害をもつ人たち、不安を抱える人たちなど、すべての人がその人らしく生きるための音楽を使った援助活動、となっています。

 

 ミュージック・ケアでは、その人の現在の心身の状態に応じて、音楽を使った活動レベルを調整します。指導して下さった西野裕子さんは、参加者の動きを観察しながら、音楽を選択し、活動内容を構成し直していました。

 

 加賀谷さんは自分の「音楽療法」の特徴として集団で行うことの有効性を言っていました。なぜなら、一人の喜びの価値より集団の喜びの価値はずっと大きい、と考えていたからのようです。

 

 確かに、みんなで笑いながら音楽に合わせて動くことは、楽しかったです。

 曲をたくさん用意して状況を見ながら指導して下さった西野裕子先生に、心からお礼を申し上げます。そして、一緒に楽しんで下さった参加者の皆さん、ありがとうございました。